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とくなが女性クリニック
 
コラム
 
 

医師と患者の狭間で

第28話・多胎妊娠
第29話・下肢のむくみ 一一 リンパ浮腫
第30話・老人ディスコ・・・ハルピンの朝
第31話・腹腔内大量出血
第32話・外科医がメスを納めるとき
第33話・入院生活を体験して
第34話・患者さんとの接点(1)
第35話・患者さんとの接点(2)

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多胎妊娠
 多胎妊娠というと、普通は双胎(そうたい)(双子)のことを言っていることが多いが、中にはひん品たい胎と言って三つ子であったり、要胎(四つ子)、周胎(五つ子)のこともあり妊婦さんにとっては大変なことである。大きなおなかを抱えながら「先生、双子ではないでしょうね?周りの人がおなかが大きいので双子ではないかと言うんです。」 「大丈夫ですよ、心配要りません。自分が太ったんではないですか?」 こんなやり取りの中で、安心する人もいれば、がっかりする人もいるが、双子をはじめ多胎妊娠は多くの問題を持っていて、決して好ましいことではないのである。
 一般に多胎妊娠の頻度の概算法としては<ヘリンの法則>と呼ばれる 1/80n−1(nは胎児数)の式がはんよう汎用されているが、実際には人種による差異が大きく、我が国の双胎率は150〜160の分娩に1回で、三胎は約1万8000の分娩に1回、四胎は約100万の分娩に1回と、いずれもこの式による数値より低い率というのが現状である。ところが、昭和52年頃より多胎妊娠の頻度が上昇の傾向を見せており、排卵誘発剤の使用がその大きな原因と言われている。今では患者さんも良く知っていて、「三つ子とか四つ子は大丈夫でしょうか」と聞く患者さんも少なくない。
 私が、最初に三つ子妊娠に関わったのは、心疾患を合併した患者さんで、妊娠を継続できないという状況で人工妊娠中絶をした時であった。当時は超音波断層装置も無かったので、べんしゅつ娩出した胎児を見て初めて三つ子だと分かり驚いたのを覚えている。四つ子にも一度、三つ子はこの数年の間に3例関わった。いずれも子ども達は元気に育っている。数日前も、すでに一人子どもがいて、三つ子を産んだお母さんがナースステーションに来ていた。男の子ばかり4人となり「大変だね、3人とも一緒に連れて帰れるの?」と尋ねると、「大丈夫です、皆で何とか協力して・・・」と笑顔で答えていた。今、ナースステーションのカルテ棚のところに誰が撮ったのか、母親・妹さん・父親に抱かれた三つ子の写真が飾られている。
 以前、三つ子だったか、四つ子だったかそのうちのいくつかをエコーを見ながら処置したという記事が報道され問題になった。三つ子、四つ子になると、産むお母さんは勿論その家庭にとって大変なことだけは確かなのである。
 お産を取り扱う医師にとっても双子のお産は無事終わるまで休んだ気がしない、というのが本音である。
医局の皆で夕食を食べ解散するところへ、双子の分娩が始まるので来て欲しいとの電話を受けた。私が当番だったが、若い先生二人に「異常はいつ起こるか分からないのでお産を見ていったらどうだ」と誘って分娩室へ急いだ。第一子は無事に産まれたが、第二子のさいたい臍帯が脱出したために緊急の帝王切開となった。無事に済んでホッとしたのを思い出す。第一子分娩後に、第二子が危険な状態になって帝王切開となったケースはこの他にもたくさん経験している。無事に経過した場合にはよいが、双子と分からないでトラブルになったりすることもあり、多胎妊娠というのはいつになっても気の許せない妊娠の一つである。
下肢のむくみ ―― リンパふしゅ浮腫
 子宮頸癌(しきゅうけいがん)の術後等に続発する下肢の慢性リンパ浮腫は、未だによい治療法も無く、その治療には悩みが多い。昭和45年に大学病院で手術を受け、その後再発も無く元気に過ごしているという白髪の老婆が、紹介状を携えて外来を訪ねて来た。当時の先生は既に大学病院を辞めていて、福島県のある地方都市で開業されており、その先生を訪ねて病状の経過を診てもらっていたが、「年もとったし、通って診てもらうには遠いこともあって、先生のところで経過を診てもらいたい」という内容であった。
 内診所見では局所の再発所見も無く、何も言うことは無かったが、左の下肢がリンパ浮腫のために象の足のようにむくんでいた。 「どうして左足だけがこんなに腫れ上がるのでしょう?足を曲げることもできず、正座ができないので困っています」とけげん怪訝そうに問うてきた。
 このようなリンパ浮腫の主因は、こつばんくう骨盤腔の外科的リンパ節かくせい廓清よって生じる下肢のリンパ液の流れが障害されるために起こるもので、術後の創部瘢痕拘縮(そうぶはんこんこうしゅく)よって深い静脈の狭窄(きょうさく)が生じたり、放射線治療によって皮下組織が線維化して、なお一層症状を悪化させるのである。リンパ浮腫が慢性化して、時には炎症を伴うようなことになると、発熱し、疼痛(とうつう)のために歩行できないこともあり、厄介なことになるので、普段から利尿剤や消炎剤等を投与して予防している。四肢の慢性のリンパ浮腫は、治療に苦渋することが多いが、骨盤内のしゅよう腫瘍や病状の悪化による下肢の浮腫はもっと大変である。
 長い間、再発のために入退院を繰り返していたある患者さんが「先生、いよいよ終わりですね・・・」と私の反応を求めてきた。「どうしてですか?だいぶよい状態になってきたでしょう!心配しないでゆっくり休んだらよいでしょう」と言って視線をそらせた。「分かっているんです。昔から足に“むくみ”が出るようになると長くないと言うじゃないですか!」と真剣に言い返してきた。「もう何も悔いはありません。ただ苦しまないようにだけして下さい」と言って手を握ってきた。数日後に、この患者さんは他界された。
 リンパ浮腫は、もっと急激に両方の下肢から下腹部にかけて溜まってくることもある。そんな時には動くこともできず、呼吸もできないほど苦しくなることもあり、やむなく皮下のあちこちに針を刺し、リンパ液を流出させることもある。これほど医療技術が進歩したというのに、ゴムの木に傷を付けるような方法で・・・。それでも一日に1000・以上も出て、一時的に下肢の浮腫が消失して喜ばれることもある。しかし、それはほんの一時的なことにすぎず、それ以上の効果は期待できないことが多い。
 長い入院中、回診の度に針穴から流出するリンパ液で濡れたガーゼを換える手もとを見つめながら、「先生、この辺に刺したらどうでしょう・・・」 「そうだね、だけど痛くはないの?」 「楽にさえなれば我慢しますよ!」
 苦渋を取り除いてあげなければならない立場にありながら“こんなことが”と思うようなことができない。未だに解決できていないことに苛立ちを感じる。この患者さんもしばらくしてから他界され
た。
老人ディスコ・・・ハルピンの朝
 ハルピン(哈爾浜)市についた翌朝、「朝市に案内します」と言われ起こされた。遅くまで行われた歓迎会で少々寝不足気味だったが、カメラを手にホテルを出た。数分で市内を流れる松花江の河畔に出た。海のような河だと聞かされていたがほとんど水が無く、大きな船が赤く錆びた船底を見せてあちこちに停泊していた。人も少なく、「9月頃になると水かさが増して、辺り一面水で埋まってしまうんです」と言われてもさっぱりイメージがわかず、眠い目をこすっていた。
 「スターリン公園に行ってみましょう」と促され足を向けた。公園に入るとすぐ、拡声器から流れるカセットテープの音で眠気も一気に吹き飛んでしまった。大きな樹の葉のトンネルを抜けると、音楽に合わせてたくさんのお年寄り達が、足でリズムをとりながら踊っている光景が目に入ってきた。リーダーがいるようにも見えず、広場の隅にラジカセが置かれていて、それぞれ自分なりの踊りをしていた。コンクリートで整備された公園の広場のあちこちに老人達の輪ができていた。松林の方に目を向けると、そこにも老人達が集まり、気功体操を繰り広げていた。また、松の木に手を押し付けたり足を掛けたりして伸展運動をする姿も見られ、その身のこなし方はとても老人とは思えなかった。また、剣を自由に操りながら踊る老人の姿もあり、朝のスターリン公園は老人の集会場と化していた。昨夜の歓迎懇親会で「今ハルピンで一番流行しているのは“老人ディスコ”です。明日の朝、少し早いですが“朝市”をご案内しますから、先生はその時見ることができます」と言われたがどういうことか分からず、この光景を見て初めて理解することができた。
 このスターリン公園は、松花江の河畔に沿って細長く伸びていて市民の憩いの場所となっているが、朝5時から8時までは朝市が立ち、野菜・魚・衣類等のあらゆる物が集められ交換される自由市場になっていると聞かされた。広場に集まり、踊ったり楽しそうに語り合っている老人達の顔は、皆日焼けしていてしわ皺が多かったが、太った人はほとんどいなかった。朝のひと時を健康のために過ごす、喜びの笑顔がそこにはあった。日本でも、老夫婦が仲良くジョギングする姿を見かけることはあるが、こんなにたくさんの人達が踊る光景はあまり見ることはない。しかし、この光景の中で不思議な事と言えば、子どもの姿を見ることがなかったことである。これも、中国で今進められている一人っ子政策(独生子女)の影響かな“と勝手な想像をしながら、自由市場の雑踏の中に足を向けた。市場では、豆乳に揚げパンを浸して美味しそうに食べる人、ムシロに手作り品を広げ必死に売る姿等があった。裕福とは思えない光景であったが、活気がみなぎっており、人々の目は輝いていた。
腹腔内大量出血
 上腹部に激しい痛みを訴え、冷や汗をかき、ショック状態の中年婦人が緊急入院してきた。明け方トイレに行った後から下腹に痛みが始まり、激痛が治まらないために救命救急センターに入院していた患者さんであった。超音波検査やCT検査も行われ、痛みが上腹部に移動していたため外科の医師の診察も受けたが、病状経過から肝臓破裂等の腹部(消化器)疾患は考えられないため、診断が確定しないまま婦人科病棟に転棟されてきたのである。
 胸部から胃部にかけて痛みがあり、上腹部に痛みが限られていたが、内診所見で子宮が大きく、CT検査・超音波検査で骨盤内に少量の出血と子宮の後方に異常所見があり、卵管炎によるのうよう膿瘍も疑われた。点滴等の応急処置によって状態の悪化は見られなかったが、上腹部の痛みが続き、息苦しさの訴えは変わらず、腹腔内出血が確実であると診断されたため開腹手術をすることになった。
 腹壁を切開すると、腹膜を通して大量に出血しているのが見られ、腹膜を切開すると同時に、上腹部に溜まった大量の血液が流出してきた。子宮の裏側と左の卵巣付近に凝血を認めたので、急いで出血部位を調べると、左の卵巣から血液が噴き出しており、排卵の後にできた<横体>から出血していることが分かった。
 出血した血液が肝臓の裏側に約1400・溜まり、子宮の裏側にも約430gの凝血が認められた。子宮外妊娠や卵巣出血等で腹腔内に出血した場合、出血による腹膜刺激症状として下腹の痛みと、子宮と直腸の間に血液が溜まるために、肛門に響く痛みや排便の時の痛みのような違和感を同時に訴えることが多い。この患者さんのように最初から激痛を訴え、症状がすぐに上腹部に移動して息苦しさを訴えるような患者さんは見たことが無かった。手術時の所見から、出血と同時に大量の血液が肝臓の裏側に溜まり、腹膜を刺激して激痛が出現し、出血と激しい痛みのために胸の動きが制限されて息苦しさを訴える症状が強く出たのではないかと思われた。手術は出血部位の止血処置と腹腔内を洗浄して終わった。子宮を摘出する必要も無くホッとして手術室を出た。
 婦人科で大量の腹腔内への出血といえば、子宮外妊娠の破裂によることが多く、昔はショック状態になった患者さんを手術することが多かったが、最近ではショック状態の患者さんの手術は少なくなっている。超音波診断装置の普及によって異常妊娠が早く診断され、早く処置が行われるようになったためである。
 しかし、今回のような卵巣からの出血の場合にはその診断に苦労することが多く、確定診断ができないまま開腹手術をしなければならないことも少なくない。排卵後に形成された<横体出血>の手術は今迄に何例もあり、文献的には1000・以上おなかの中に出血した横体出血もあるとは聞いていたが、このような形で教えられるとは思いもよらなかった。“患者に学ぶ”ことの多い毎日である。
外科医がメスを納めるとき
 ある医師会の集まりの席で、“勤務医としていつまでメスを握られるか”ということが話題になった。毎日のようにメスを握っている者として、いつかはメスが握れなくなる時が来るだろうと漠然と考えることはあったが、第一線で活躍中の外科医師の発言に驚かされた。
 初めてメスを握った時の緊張と興奮は今でもよく覚えている。手術を終え、汗でグッショリ濡れた術衣を脱ぎ、無事終わった安心感から思わずソファーに座り込んでしまったことが脳裏に浮かぶ。まだまだ自分にとっては先の話だと思っていたが、「○○先生も分娩を扱わなくなった」とか、「○○先生も手術をやめて入院患者を扱わなくなった」という話を耳にすることも多くなり、“他人事ではないな”という思いに掻き立てられた。
 我が国は、超高齢化社会に向かっていると言われているが、医師会を構成する医師の年齢構成も例外ではなく、開業の先生方の高齢化ということもあって、第一線で行われている医療内容は大きな変化を見せている。患者さんの大病院志向ということもあって、今迄開業の先生方がされていた手術も大病院で行われることが多く、風邪の様な疾患でも大病院を訪れる患者さんが多くなっている。昼夜無く働く勤務医にとって、一方では目まぐるしく進歩する医療に後れをとらないようにと、研究会や学会にも出席しなければならない現実に対して、「いつまで対応できるだけの体力が・・・」というような話へと発展していった。
 <外科医がメスを納めるとき>という命題があったが、“名医”と言われ大勢の後輩の医師を指導・育成し、患者さんからも絶大な信頼を受けていたある先生のことを私は思い浮かべていた。
 定年後もメスを握り活躍されていたが、奥様を亡くされてしばらくして、独り海の見える一軒家で畑を耕し、自給自足の隠遁生活を送っていると聞かされていた。その先生が、ある時を契機に送り状を持たせて患者さんを紹介してくることが多くなったのである。そんなこともあったので、忘年会の席で挨拶に行くと、「頑張っているそうだね!私は目も見えなくなったし、また根気も無くなってきてしまったのでよろしくお願いしますよ」と笑顔で応えてくれた。先生はその時既に直腸癌に侵されていて、痛みに耐えながら診療をしていたということを後になって聞かされた。訃報の知らせに駆けつけて、ひつぎ柩の中で安らかに眠っている先生を拝顔した時には思わず目頭が熱くなった。
 手術場という舞台でメスを持った主人公として、派手に振舞い多くの患者さんや看護婦達から羨望の眼と尊敬の念で見られていることを嫌というほど知っている人間が「メスを握れなくなり、メスを納める時、そこには舞台の幕引きもいなければ喝采の拍手も無い・・・」と豪快に笑いながら、自分自身に言い聞かせるような口調で語るその外科医の声で、ふと我に返った。
入院生活を体験して
 一時よくなっていた腰痛が悪化し、痛みやしび痺れに悩みながらも痛み止めの座薬を使い、鍼灸(しんきゅう)に通ったりして診療に従事していた。
 <椎間板(ついかんばん)ヘルニアによる座骨神経痛>と自分なりに診断してそっと整形外来で牽引(けんいん)をしていたが、右の下肢の痺れが強くなり、筋肉の萎縮(いしゅく)が見られるようになったので整形のドクターに相談に行くと、ミエログラフィー(脊髄造影)をするように勧められた。脊髄に造影剤を注入してエックス線撮影をする検査で、痛みと、多少危険も伴うと聞かされていたため、ずるずると避けていたのである。
 しかし、痛みと痺れに我慢できない状態になり、思い切って検査を受けることにした。検査を終え、ドクターに「これだけの圧迫があれば手術したほうが・・・」と言われ「やはり・・・」と不安に駆られながら「明日、手術を受ける」と家に電話を入れた。
 「検査だけで心配ないから」と言っていたので、あまりにも急な話に困惑しながら妻が心配して駆けつけてきた。検査次第で、悪ければ手術をするつもりでいたので決心するのにためらいは無かったが、検査の後翌朝まで安静を強いられ、ベッドで動けないという苦痛をまず味わうことになった。
 次に待っていたのは浣腸処置で、術前処置は麻酔をしてからするようにお願いしていたので安心していたが、こればかりはそうはいかず受けなければならなかった。普段何気なく患者さんに対し指示している浣腸が、どんなものかということを身をもって体験させられた。患者さんには、なるべく我慢できるまで待ってトイレに行くように話していたが、浣腸液が注入されると、とても我慢等できずにトイレに走ってしまった。それでも導尿カテーテルは「麻酔してから」と頼んであったので、その苦痛を味わうことなく手術場に向かったが、術後の厳しさについては想像すらしてなかった。「3週間もすれば仕事もできるだろう」と軽く考えていたがとんでもない話で、ギプス固定できない1週間の間、ベッドから起き上がることもできず、どんよりした新潟特有の灰色の雪空を見て過ごさなければならなかった。
 それどころか<寝たきりの生活>がどんなものか、嫌というほど味わうことにあったのである。
 ベッドに寝たままでの食事、味噌汁などはストローで何とかできたが、口に運ばれて食べさせてもらう食事は美味しくないものだとつくづく思った。それよりも困ったのは排便・排尿処置だった。同じ職場ということもあって、看護婦達にお願いすることをためらい、家内に任せた。泊まって看護してくれていた間はよかったが、家内が子ども達の世話もあるため通うようになってからは、便意を催しても我慢するしかなく、辛い思いをすることもあった。
 自分が体験した辛い思いとは別に、24時間患者さんの看護をする看護婦達の姿を見て、医療現場の厳しさを患者という立場で見直す機会ともなった。また、寝た状態で看護婦や医師と話していると、その時の目線の位置で、想像していた以上の威圧感を受けるものだということも感じさせられた。
 数週間の入院生活であったが、多くの人のお世話になり、色々学ばせていただいた。家族はもとより、病院関係者の善意の中で入院生活ができたことに言葉で言い尽くせない感謝を抱いている。
患者さんとの接点(1)
 ある患者さんが「出血が続いて・・・」と不安そうに話しかけてきた。「そんなに心配することは無いでしょう。よく検査してみましょう」と言って診てみると、既にどこかで検査を受けた形跡があり、尋ねると「先生には悪いと思って黙っていましたが、実は○○病院で検査をしてもらいましたが心配で・・・、○○さんが大きな病院で診てもらった方がいいと言ったので・・・」と診察が終わってからやっと話してきた。
 日常の外来診療では、ほとんど問題にならないようなことを心配してくる患者さんが多く、分かりやすく説明して、病状を正しく理解してもらわなければならない患者さんの多いのが現状である。今は、医師と患者の<インフォームド・コンセント=医師が患者に十分説明をし、患者がそれに納得した上で治療を行うこと>が非常に大切になっている。しかし、現実には忙しい外来で十分な説明をすることはできないことが多い。検査結果を見てから説明しようと思っていても、患者さんにとっては十分な説明が無いということは大変なことである。診察室を出たとたん何が何だか分からなくなり、結果を聞いても判断する余裕も無く、身近な人に相談したり、“もっと大きな病院の先生に診てもらいたい”とあらゆる手づるを利用して病院を渡り歩く患者さんも多いと聞く。
 「電話です」と言われて出てみると、他の病院の知り合いのドクターから「○○さんという患者さんをこちらで手術するのでよろしく」といった連絡だったりすることもあるが、逆に自分が先方のドクターに同じような電話を入れることもあり、そんな時にはいずれの場合でも割り切れない気持ちになる。
 口では簡単にインフォームド・コンセントと言っても、心配して病院を転々とする患者さんに納得のいく説明をするのは非常に難しい。それは診察に来る前に家庭医学書等を読んだり、夫や友人、時には複数の医師からの情報を得て混乱していることが多いからである。
 検査を受けても結果を聞かないでくる患者さんの言い分。 「手術が必要だと言われたので大きな病院がよいと思って」とか、「先生がよく説明してくれないので不安で」等、理解できないこともないのだが。
 また、従来の<与える医療>から<患者さん中心の、自ら健康を守る医療>へと変わってきている以上、弱い立場の患者さんに納得して医療を受けてもらえる環境を作るための努力が医療スタッフには必要であって、<患者さんの意識の向上・権利意識>といったことを意識しすぎて、<保身的な医療>にならないようにしなければと思っている。ややもすると、患者さんと医師との距離が大きくなりかねない状況にあって、患者さんと医師にとって本当に大切なのは<お互いに信頼関係をつくる>ことではないだろうか。
患者さんとの接点(2)
 学生時代「1+1は必ずしも2ではないということを説明できるか」と問われたことがある。その時には、言葉の持つ意味など真剣に考えることも無かった。「間違いは許されない」 「間違ってはならない」ということが第一の医療社会にあって、<医療行為によって生じる結果は不可逆的なことは多く、もう一度試すということができない>ということを目の当たりにして、その意味が分かる心境になった。特に、妊娠や分娩に関係したケースは、忘れてしまいたいと思っても決して脳裏から消え去るものではない。子宮破裂や帝王切開後に感染を繰り返し搬送された患者さんの子宮を摘出したこと等、今でも胸を締めつけられる思いである。
 子宮頸部(しきゅうけいぶ)に大きな筋腫を合併し、切迫流産で入院していた妊婦さんで出産も間近になり超音波で胎児の発育をチェックしていた時、「手術は先生にお願いしたい・・・」と言われ、最初から経過を診ていたので心配は要らないと言って了解した。骨盤腔(ダグラスか窩)を占有する頸部筋腫のため、妊娠経過中から「分娩は帝王切開で」と説明していたが、改めて手術時に予想されることも説明し、ご主人にも手術承諾を得て手術に臨んだ。通常の帝王切開とは違い、かなり上方で子宮下部に横切開を入れた。しかし、子宮筋腫核が露出し、子宮腔に入れないため、さらに上方に切開創を加えなおして胎児を娩出した。子宮の切開創を修復するために創部を検索し、子宮と筋腫の関係を知った時、全身から血の気が抜けていくような思いを今でもはっきりと覚えている。
 至急頸部の筋腫と思っていたのが、何と子宮の体部に発生した筋腫で、その筋腫がナイフのように折れ曲がるように骨盤腔に陥入していたのである。そのため子宮頸部は考えられないほど引き伸ばされていて、最初の切開で頸部を切断していたのである。出血も多く、修復は困難と判断され、子宮摘出を余儀なくされてしまった。
 手術後、ご主人に説明して了解を得たが、本人には後日詳しく説明することになった。期待を裏切る結果となり、目を真っ赤にして悲しみをこらえる姿に、産まれた子どもが健やかに育ってくれることを祈るだけであった。退院時に、改めて手術時の状況を説明したが、目の奥に寂しさを隠しきれないように感じられたものの、本人の口からはお世話になったことへのお礼の言葉が返ってきた。
 その後、ある看護婦が「先生、彼女がどんな思いで気持ちを整理したか分かりますか?」と問うてきた。答えに戸惑っていると、「自分は結果に対しては仕方がないと思っている。しかし、もう子どもが産めないと思うと主人に悪くて・・・。その主人が、“術後の説明をしてくれた先生の態度を見た時、先生の本当の気持ちを理解することができた”と言ってくれ、気持ちの整理ができた」と涙をこらえながら話してくれたことを聞かされた。
 <1+1>がマイナスになる場合があることを身をもって教えられた。人が行う医療であるがために<インフォームド・コンセント>が大切であることを痛感させられ、その結果には医療を行った者に責任があるということも。
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