医師と患者の狭間で
第10話・未熟児医療をめぐって
第11話・オスラーの胸像
第12話・術後の患者さんの突然死をめぐって
第13話・子宮内外同時妊娠
第14話・高齢患者医療における悩み
第15話・外来における救急患者
第16話・ある子宮脱のおばあちゃん
第17話・陣痛促進剤について
第18話・妊娠と薬
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未熟児医療をめぐって
「妊娠23週の妊婦が破水したので、母体搬送をしたい」という電話を受けた。23週といえば流産である。推定体重500g前後はあるだろうかと思いながら電話を切った。新生児集中治療室と連絡をとり、受け入れ態勢をつくる。
ふと、卒業当時のことが思い浮かんできた。当時、未熟児医療における高濃度の酸素投与が、未熟児網膜症の発症と深い関係があると指摘され始めていた。失明した子をめぐって裁判へと発展するケースも出てきた時期でもある。<未熟児網膜症を予防するには、未熟児の出産を防ぐことだ>との思いが産婦人科の道を選んだ理由の一つでもあった。
当時の未熟児出生率は7%前後で、周産期医療の進歩にもかかわらず、今でも未熟児出生率は6.3%前後であまり変わっていないのが現状である。1500g未満や1000g未満の極小未熟児や超未熟児の出生率は、それぞれ0.5%、0.2%とむしろ当時より微増の傾向にある。しかし、生まれて1週間以内に死亡する早期新生児死亡率は、1000g未満の超未熟児では60〜70%から、今では30%と著しく減少しており、1500g未満の極小未熟児では43%が10〜11%に、2000g未満の未熟児では13.9%が3〜4%、2500g未満の未熟児では2.3%が0.7%と減少し、著しい進歩をみせている。今では、「母体外胎児成育限界は22週である」という論議がされるほどになっている。
出生時体重が、400〜500gというと、両手の中にスッポリと入ってしまうほど小さい。どんなに小さくても、生命ある限り昼夜を問わず集中治療が行われている。今では、血液を採血しなくても経時的に連続して血液中の酸素濃度が測定され、高濃度の酸素投与による視力障害などがないように一定の血中酸素分圧が保たれるように管理されている。昔とは大きな違いである。後遺症を残さないように、合併症をつくらないように、医療スタッフの懸命な努力が続けられている。その努力にもかかわらず、未熟児網膜症をはじめ思わぬ後遺症がみられることもあり、悩みも多いというのが現実である。
昭和47年頃、ある医療機関で発症した未熟児網膜症の裁判に関係して、当時の大学病院における未熟児医療状況を調査し参考資料として報告した。医師の管理責任を問われた裁判であったが、当時の医療水準から判断して、医師の責任は問われなかった。しかし、両親に手を引かれ失明というハンディを背負った児童の姿を見た時、未熟児医療の原点を見る思いがした。産科医療に携わる一員として、今後も未熟児出生の予防を計り、妊婦教育にスタッフと共に力を注いでいかなければと心に誓う。
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オスラーの胸像
ある日、看護婦から「数人の患者さんを近くの“蒲原まつり”に連れて行きたいので外出の許可をいただけませんか」との申し出を受けた。昔ながらの屋台が並び植木市などもあって、たくさんの人で賑わうそこには、子どもにも大人にも懐かしい夏祭りがあった。患者さんにとって、入院中に祭りに出かけることなど考えられなかったことだろう。
2〜3時間の外出許可に、非番の看護婦に連れられ子どものように喜んで出かける患者さんたちの後ろ姿を見送った。治療のために、吐き気・嘔吐・脱毛等、副作用に苦しみ悩む人たちであった。
入院生活が長くなると、家のこと、残してきた家族のこと等で落ち込んでしまう人、怒りっぽくなる人、固く口を閉ざしてしまう人がおり、なかなか心を開いてくれようとせず、診療において困ることも少なくないのである。
そんな時、ほんの短い時間であっても看護婦たちの粋なはからいに内心頭が下がる思いであった。ふと、病院(新潟市民病院)の玄関前庭に建つ<オスラーの胸像>が脳裏をかすめた。
オスラーは1849年カナダに生まれ、アメリカのペンシルバニア大学、ジョーンズ・ホプキンス大学、イギリスのオックスフォード大学の内科の教授を歴任し、医療は科学と技術と人道性を一体として行うべきもので、医療人は患者の人間性を尊重し、その訴えを聞き、病める人に対して全人的医療を目指さなければならないと説いている。
<医学は患者と共に始まり、患者と共に在り、そして患者と共に終わる>というオスラーの言葉が刻まれた文鎮が当院の全職員に配布されている。そんな精神の病院発展の願いが込められて。
さらにオスラーは、医師と違って24時間患者さんと接する看護婦に対しても「皆さんがプロとしてやることができても、皆さんができない看護を患者さんの家族がやっている。自分たちにできない看護を家族の人にやってもらうよう彼らを病室に入れるように」とも述べている。
外来で、退院した患者さんから「先生も一緒に山登りしましょう」と誘いがあった。長い入院生活を終え、外来通院となった患者さん数人と、病棟勤務の看護婦が計画し、実施したことを後で教えられた。
大事な休暇を利用して、人知れない所で患者さんと一緒に過ごし、励ましている姿を思い浮かべた時、外来の机の上だけの医療に明け暮れている自分につくづく無力感を覚えながらも、頑張らなければならないと思う。
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術後の患者さんの突然死をめぐって
晴れ上がった秋の寒い朝になると、私にとって忘れられない出来事が、ふと脳裏をかすめる。
その日は空気が澄み、五頭(ごず)連峰を越えて望むいいで飯豊連峰の山々には新雪が朝日に輝いていた。阿賀野川ラインの紅葉を見ながらのドライブ、河原での<イモ煮会>を計画した病棟旅行には格好の日和であった。
ジャンパーに身を包み入退院口に立ち出発を待っていると、「おっ、徳も呼ばれたか?」と内科医が慌ただしく入ってきた。
「どうしたんですか」 「お前さんとこの患者さんの具合が悪いらしく呼ばれたんだ」と階段を駆け上がって行った。状況が分からないまま私も後を追った。
ナースステーションに入ると、「○○さんが大変です」と青ざめた顔で報告する看護婦の言葉も聞き終わらぬうちに病室に走っていた。
すでに麻酔科、循環器科の医師が来ていた。挿管も終わり、呼吸管理されて心電図モニターに写し出された波形は、心停止の状態に近かった。その時私の身体は硬直し、眼の前が真っ暗になっていた。
それは1週間前に子宮頸癌(しきゅうけいがん)の手術をした患者さんで、術後経過は順調であった。朝起きて洗面所に行ったところ「胸が苦しい」と言ってベッドに横になったが、呼吸ができない状態になってしまった、と知らされた。救命に全力を尽くしたが、あっという間の出来事に力及ばず死亡してしまった。しかし、ご家族の了承のもとに病理解剖を行うことができ、原因究明に臨むことができた。その結果、左の肺動脈に凝血が大量に詰まっていたことが分かり、死因は、肺塞栓症と診断された。
子宮頸癌の手術の場合、骨盤内のリンパ節郭清(かくせい)も行われ、手術時間も長く、載石位という特殊な体位で行われるために、術後下肢の血栓症や静脈炎などの合併症を併発することもあるので、十分注意をしていた。しかし、このような術後の合併症であっという間に死亡してしまったケースは初めての経験であり、患者さんの家族には、真実を伝えるのがやっとだった。「一生懸命治療していただいた」と言葉を返された時には本当に身の引き締まる思いであった。
今私たちの科では、年間500例近い開腹手術を行っているが、信頼に応える医療をするために緊張の毎日である。
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子宮内外同時妊娠
診療も終わり、帰宅しようと着替えているところへ緊急入院の報告。所見では、超音波診断で胎児が認められ、心拍も確認されていた。
ところが、腹腔内に大量の血液貯留が見られるため、緊急手術が必要と転送されて来た。入院時、患者さんは下腹痛を訴え、顔面は蒼白、直ちに手術が施され、腹腔内に約1700・の凝血と血液がみられ、右卵管の一部が骨盤壁の腹膜とかすかに癒着(ゆちゃく)していた。しかし大量出血の原因となるような異常所見は他に認められず、癒着していた卵管を剥離(はくり)し、出血している卵管を一部切除して手術を終えた。
術後の経過は順調で、流産徴候も見られなかった。不思議な思いで数日が過ぎたが、病理組織検査で、「切除した卵管に胎児組織の絨毛が認められる」との報告を受け、初めて子宮内外同時妊娠で、右卵管の子宮外妊娠が大量出血の原因だと考えられたのである。
数日前、新潟大学病院で不妊患者さんが、やっと妊娠したのはよかったが超音波診断で内外同時妊娠と診断され、対応に苦慮しているが、子宮外妊娠の臨床症状が無いので自然に経過をみていると聞かされたばかりであった。しかし、経験も無いことなので半信半疑の気持ちで、今後どう扱うべきか大学の先生方と検討しただけでいた。
日常診療においては、超音波診断で子宮内に正常妊娠と診断されていれば、子宮外妊娠が同時に存在する等ということは中々思い浮かぶものではないと思う。むしろ超音波診断装置がまだ普及していなかった頃は、子宮外妊娠で手術した患者さんが、数日前に人工妊娠中絶を受けていたり、流産の治療を受けているような場合に、苦しまぎれに内外同時妊娠という言葉を口にする程度であった。子宮内外同時妊娠というケースは、産婦人科医でも一生に経験するか否かというくらい非常に稀な疾患であり、3万例に1例といわれている。
しかし、このように現実に2例続けて経験すると、実際には報告が無いだけで本当はもっと多く見られるかもしれないとも思う。
何万例に1例という稀な病気でも、患者さんには生死にかかわる事もあり、忙しい中にあっても<思い込み治療>をしないように注意しながら患者さんの前に立っている。
大学病院の症例は、子宮外妊娠の方は自然に消滅し吸収されてしまい、子宮外妊娠手術をすることなく、無事に生児を得られたと聞いている。
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高齢患者医療における悩み
80歳を過ぎた患者さんの家族から電話が入った。1年前に治療した患者さんであった。「近くの医師に往診してもらったところ、全身に浮腫(ふしゅ)が見られるので主治医の先生に診ていただくようにと言われた」という内容であった。
1回の抗癌剤治療で幸いに病巣の大部分が消失し、高齢でもあったので、外来管理、自宅療養中であった。腰は曲がっていたが身の回りの事はすべて自分でされており、病室ではベッドにきちんと正座して、いつも本を読んでいた。治療にも大変積極的で、退院後も定期検診には欠かさず来院していたので、感心する患者さんの一人であった。
家人に付き添われ入院してきた時は、全身に浮腫がみられ、おできができて、外科医で切開してもらったばかりと頭に包帯を巻き、子どものような顔をしていた。食事摂取も困難な状態なので、早速栄養剤の点滴を開始した。
「先生、私はもうダメなんでしょう?」 「そんなことないから元気を出して・・・」と答えても、「昔から、浮腫が出てきたら死ぬというじゃありませんか」と、すかさず切り返された時は内心ギクッとした。
腹痛もあり、ほとんど経口的に摂取不可能で栄養剤の点滴は続けられたが、血管から漏れてばかりいるので、中心静脈栄養をしなければならなかった。しかし患者さんの口からは、「早く死にたい、楽になりたい」という言葉がしきりに発せられるようになった。輸液の量を最小限にし、痛みをとるような対症療法が続き、家族や看護婦たちの介護もむなしく、目を閉じられた。
どんなに高齢であっても、患者さんの家族、ことに肉親にとっては一日も長く生きて欲しいと願っていると思う。しかし、病院における老人の入院患者さんの数は、年々増加の傾向にある。時には、円滑な病床利用に困難をきたすことも少なくない。また、年々増え続ける医療費増加の一因とも言われ、高齢者の医療のあり方はどうあるべきなのか、多くの問題を含んでいる。実際に入院している患者さんの中には、自宅で自然死を迎えたいと思われる方も無いわけではない。
しかし、現在の家族構成、住宅事情、経済的負担等を考えるとそれも中々難しい問題である。入院を希望されれば何とか入院させてあげたいと努力をし、1分でも1時間でも長く生きるような延命治療を優先させてしまうのも、無理のないところである。
多くの矛盾を持っていると思いながらも、実際に入院される患者さんに対して、患者さんの意思とは違った治療をしている気がしてならない。
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外来における救急患者
突然、夜中に腹痛や不正出血に見舞われた場合、どんな人でも不安と恐怖心のためにどうしてよいか判らなくなるのが普通である。特に妊娠中であったりすると、おなかの中の子どものこともあり、それは大変なものだと思う。産科の緊急患者さんの中には、母児共に危険な状態で運ばれてくることもあり、また緊急手術になるケースも稀ではない。
当直の夜、「急患です」と電話で起こされると、“異常がないように”と祈りながら診察室に向かう。重症な症状を呈している患者さんであれば、緊張の連続の中で緊急処置が続く。無事処置が済み、「もう心配ありませんよ」と声をかけ、患者さんやご家族から感謝の言葉を聞くと、夜中に起こされたことも忘れてしまう。
ところが、救急車のお世話になりながら大騒ぎして運ばれてきても、症状がそれほどひどくない場合等、よかったと思うどころか逆に患者さんを叱ってしまう事もある。昼間から不正出血や腹痛があったなら、誰かに知らせるなり、受診するなり方法があるはずなのに・・・。
最近は、直接電話で症状を訴えてくる患者さんも多くなった。
真夜中のお産が終わり関係書類を書いている時電話が鳴った。看護婦が応対している様子を見て、直接症状を聞いて指示してあげた方がよいと判断し、電話を代わった。
訴えを聞いたところ妊婦さんからのもので、熱は無いが風邪症状で腹痛と下痢があるとのこと。「心配ない状態だから特に症状の悪化が無ければ少し様子をみて、翌朝診察に来院するように」と説明して電話を置いた。カルテの準備をして看護婦と待ったが受診して来ないので、こちらから電話をしてもらった。「症状がよくなったので予約日に診察に行く」と答えたという。
症状が改善して受診しないなら連絡ぐらいできないのだろうか、と患者さんの態度にいらだちを覚えた。
しかし、患者さんにしてみればマンション住まいで相談したり、不安や悩みを聞いてくれる人もいない環境では、夜中でも心配で病院に問い合わせてくるのは無理のないことと思う。病気等に対する知識もあり、積極的に症状に対して質問する患者さんも多くなった反面、しばしば常識の欠ける患者さんも目につく。日常の診察において医師も、患者さんも、本音で接する医療が求められているのではないだろうか。
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ある子宮脱のおばあちゃん
中年の婦人に付き添われて、小柄な老女が診察室に入って来た。白髪交じりの長い髪を後ろに束ねて背中を丸め椅子に座った姿は、まるで子どものように見えた。
「おばあちゃん、どうしましたか?」とカルテを手に取りながら尋ねると、「何かが下がってくるようで、●●●●●はばったくて(邪魔になって)歩きづらい」と少々甲高い声で話しかけてきた。目も口も達者なようだが、少し耳が遠いようである。75歳と記してあるところに目をやり、“元気だナ”と思った。「いつ頃から具合が悪くなったの?」 「もうずーっと前からだがネおめさん! おら、とっても●●●●しょうし(恥ずかしく)て来れなかったてば!」とこれまた甲高い声で笑いながら話す。すぐに膀胱脱(ぼうこうだつ)を伴う子宮脱の状態だと思った。診察台にあがるよう勧めると「おめさんのような若い人に、おら、とてもしょうしだってば!」と言いながら帯をほどき、診察の間中しゃべっていた。私の母親は85歳になるが、自分の息子のような年恰好の医師から診てもらう事に大変抵抗を感じている様子だった。
「手術をするように」と話すと「開業医さんからも同じことを言われたから、一日も早くしてほしい」と答える。
付き添って来たのは北海道に住む娘さんで、「心配して来てみたが、しばらく新潟に滞在できるからその間に手術していただければ」と言われた。長い間、尿の出が悪かったり、歩く度に下がってきて不自由だったろうと思う。
手術日が決まり、ホッとしたのか何度も頭を下げてお礼を言いながら出て行く後姿には、高齢化社会を迎えた我が国におけるこれからの老人医療、老人福祉等山積みの問題を背負っているように思えた。
独居暮らしであればなおのこと、下半身の事は中々相談しにくいようである。下着が汚れていることに気付いた家人によって連れて来られる患者さんも少なくない。
ほとんどのお年寄りたちは、この年になって迷惑をかけたくないとじっと我慢する人が多く、診察に訪れた時はすでに手遅れの状態ということも少なくない。
最近新聞紙上ではお年寄りに関する記事・悲報が連日のように報じられているが、お年寄りが苦しんでいる根本的な問題を掘り起こしているような記事はあまり見られない気がする。これからの社会を支えていかなければならない子どもたちの数は、出生率の激減でますます少なくなっている。外来でのこのおばあちゃんとの会話から、その生活を考えた時、高齢化社会、出生率の低下という問題にもっと真剣に目を向けなければと思う。
元気に退院して行ったおばあちゃんだが、相変わらずの新潟弁で茶飲み友達と元気に過ごしているだろうか。
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陣痛促進剤について
診療を終えて帰宅途中の車の中で、ラジオから流れてくる話に耳を傾けると、女性アナウンサーと弁護士が医療事故をめぐって対談していた。
「最近、お産の時に使われる子宮収縮剤、陣痛促進剤によるトラブルが多く、陣痛促進剤の乱用によって子宮破裂、小児の脳性麻痺等の医療訴訟が増えている」という内容であった。<陣痛促進剤の乱用>という言葉に一瞬不快な気分になったが、ある妊婦さんの母子手帳のことが脳裏をかすめた。
一通りの診察を終え、記録のために母子手帳を開くと、妊婦さん自身が記入する欄にぎっしりと文字が記入されていた。記入する人が少ないこともあって、できるだけ気付いた事を書いておくようにと再三説明・指導している欄であったので、注意深く読み始めた。
第一子の分娩の時は、自然陣痛が起こり深夜に入院したが、すぐにお産にならなかった。朝の診察時、医師と助産婦が「陣痛が少し弱いようで―」と話しているのが聞こえたが、特別説明が無かったので自分のことかどうか分からなかった。しばらくしてから点滴が行われて“あっ”という間に陣痛促進剤によって出産してしまった。とその時の様子が詳細に書かれていた。そして最後に「今度のお産は自分の力で産みたい」と。
陣痛促進剤使用のための十分な説明が無かったことへの不満、何がなんだか分からないまま出産したことに対する母親としての不満を読み取ることができた。
陣痛促進剤も使い方によっては、子宮破裂の原因になったり、過強陣痛による胎児の低酸素状態を招き、脳性麻痺等の原因になることもあり、陣痛促進剤の使用にあたっては、分娩の進行状況、陣痛の状態等を十分考慮して慎重に使われている。
「安全なお産を求めて ―― 陣痛促進剤による能書を考える会」が結成され、活動を起こしている所もあると聞いている。
患者さんのことを考えて行われる医療行為も、臨床の場では完璧ということがない以上、不測の出来事が何%かの確率で起こることは避けられない。私達にとっては予測不可能な出来事であっても、患者さんにとっては耐えられないことであり、それを何とか0%に近づけるようにと努力と工夫がされていると思っている。
医師の立場から十分な説明と了解を得たと思っていることも、患者さんからは必ずしも理解されていないということが実際には多いのではないかと、改めて臨床の厳しさを知らされたひとときであった。
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妊娠と薬
「熱っぽくて、風邪だと思って薬を飲んでしまったんですが・・・」。 「胃の調子が悪くて、内科の先生から薬を頂いて飲んだのですが・・・。その時胃のレントゲンも一緒に撮ったのですが心配ないでしょうか」とまず、問診を始めて主訴の多くは「妊娠ですよ」と告げると、「本当ですか?私、薬を内服していたのですが」と心配そうに話す。
妊娠初期に薬を飲んだという妊婦さんが意外に多く驚いている。そんな時、学生時代の臨床実習や、医師になったばかりの頃「女性を診たら、妊娠と思え!」と口やかましく先輩に言われたことを思い出す。
しかし現実は厳しく、本人の口から「生理が遅れているのですが」とか、「妊娠しているのですが」と言われないと、妊娠のことなど考える余裕などなく、医療行為が行われてしまっているのが現状ではないかと思う。特に、慢性の疾患(アレルギー性鼻炎・じんましん蕁麻疹など)があり、薬を飲み続けているような場合や、
また生理不順だったりすると、案外本人自身が妊娠と気付かず薬を飲み続けてしまうことも少なくない。夫や姑に散々とが咎められて、泣きながら相談に来られたケースもあった。ほとんどの場合、心配のない薬であり説明を聞き安心して帰って行くケースばかりで、内心ホッとしている。
動物実験では、なかなか催奇性の証明をすることが難しくても、サリドマイドのように、妊娠初期にごく少量服用しただけでも、アザラシ肢症といった四肢の奇形を発現してしまう薬もあり、「妊婦さんにとって絶対安全という薬はないんですよ!」と時々説教をしてしまうこともある。
やっと妊娠したのに知らずに大量の薬を飲んだために中絶して、その後なかなか妊娠しにくく受診してくる人。流産を繰り返し驚いて外来を訪れる人。妊娠初期に薬剤を処方しなければならない場合には、本当に頭を悩ませてしまうことが多い。また内服してしまった薬に対して、胎児に影響は無いと思われるので、「妊娠を継続するように」と指導した場合には、無事出産が終わるまで、その妊婦さん以上に心配しているのが本音である。
患者さんによっては、合併症を持っているために薬を飲み続けなければならない場合、合併症の持つ危険性と薬剤自身が胎児に及ぼす危険性から、妊娠しないように説明しても、「自分が犠牲になっても子どもを産みたい」と言って妊娠して来られるケースもある。
途中で流産したり、子宮内胎児死亡になったり、生まれた子どもに明らかに合併症を認め、薬物が原因と思われる異常も診ている。そんな状況でも、誰一人挫折をした人はいなかった。母親の強さに敬服する反面、生まれた子どものことを考えると複雑な気持ちを禁じ得ない。より安全に、かつ慎重に薬物療法をしなければと常日頃考える。
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